
嘘で固める中国4000年(5点)
よく中国当局も、親中派?と称する我が国似非者代議士も、また朝日新聞を筆頭に中国共産党ご公認我が国マスコミも「中国4000年の歴史」と中国を持ち上げる。確かに支那大陸に4000年前から国家が在ったことは認めるが、民族間で殺戮を繰り返し、その時代時代に在った多数の国家は統治した民族も違う全く異なる国家である。現代の中国共産党が統治する中国は1949年に建国された所詮「60年足らずの歴史」にしか過ぎない。しかも4000年の歴史で民主主義国家が樹立されたことは一度もない。中国共産党は自らの正当性を誇示する為にあらゆる嘘をつく。前の国民党もそうだが、そのために標的とされるのが日本であり、虚構で貶め民衆の怒りを日本に向ける事で偽りの正当性を維持してきた。南京事件もその代表的な嘘の一つである。 当時の日本と対峙していたのは中国共産党ではなく国民党であったが、その中央宣伝部は世界的世論で日本を貶めるために豪州国籍の英紙特派員ティンパーリーと同人経由でスマイスという外国人を金で買収し、ありもしない南京大虐殺の本を書かせた。その本があの茶番劇である東京裁判での証拠とされ現代に至っても議論される「南京事件」とされている。 南京事件の虚構は数々の資料、書籍で証明されているが、本書はその決定版の一つと言えよう。それは敢えて日本側資料に頼ることをせず、中国側の資料を読み込んでまとめたものだからである。 何れにしても本書や同類の資料を用いずとも、常識で考えれば白兵戦において短期間の内に20万、30万人の虐殺など出来るはずがないことは解かるのだが…。もしも大量虐殺をするなら我が国が蒙った「広島、長崎での原爆投下」や「大都市無差別爆撃」という米国の手法を真似るしかなかろう。 ちなみに中国側の資料だけを分析した研究書として「『「南京事件」の探求』(文春新書)北村稔 著」もお勧めする。
「まぼろし」のモヤの向こうに見えてきたもの(5点)
1999年の初版を初めて読んだ時、本書の内容が『南京事件』研究にとって大変な価値があることはわかったのだが、正直なところ、本書に登場する中国側南京戦・宣伝戦関係者の、誰が誰の敵か味方かすぐには判断しきれない複雑な相互関係が頭に入ってゆかず、個々の人名が宙ぶらりんのまま本を置いてしまった。しかし、この5年間の南京『虐殺』研究の進化は著しく、南京攻略・防衛戦に於ける日中両軍の動向と、中国側の外国人を巻き込んでの反日宣伝の系統図、安全区国際委員会の報告書及び日記・手紙、そして東京と南京の裁判記録等など、ありとあらゆる色・形の沢山の小片が収まるべきところに収まり、『南京事件』というジグソーパズルをほぼ完成させようとしている。 そうして整理された頭で再度本書を、今度はマーカーと付箋で武装しつつ熟読してみると、著者があげた沢山の「パズルの小片」が、面白いように『南京事件』のジグソーの絵にピッタリはまってゆく。 しかもその多くは、南京戦及び反日宣伝戦の全体像の中で肝心要の部分を占めるものばかりである。 鈴木氏が挙げた数々の「小片」とは例えば、『虐殺』が最も多く『報告』されている雨花台、下関付近を担当していた88師の孫元良と36師の宋希濂両将軍、そして南京保衛軍総司令官・唐生智の回想録など、中国で発行・流通している中国側公的資料に基づく書籍からの引用、あるいは中共が贔屓にするエドガー・スノーらの言説ばかりである。「歴史修正主義の右翼の日本人が書いたものだから信用できない」とは絶対に言わせない。 そうして出来上がった「絵」の中では、ウソはウソとはっきり解る。第三者の傍証が全くない偽りの『証言』は淘汰されていくからだ。 『南京事件』は、いまや「まぼろし」ではない。『虐殺プロパガンダ』と、それを『被告』日本人を含め全世界の人がまんまと信じ込まされた、という異常な『事件』、それが『1937南京事件』である。
南京事件研究における一石を投じた著者による続編(5点)
著者は当時、誰も信じて疑わない30万人虐殺説がまかり通っていた時代の昭和48(1973)年3月に『「南京大虐殺」のまぼろし』を出版し、真実に対する疑問への一石を投じた鈴木明氏である。 約30年もの時間が経ったものの作者は南京事件に対する真実を追究する願いは衰えず、中国へ取材を行いながらも少しづつ集めた史料によってティンパーリーが当時の蒋介石率いる国民党によって日本軍の暴行記録を出版したのは、国民党宣伝工作員であったためである事を始めて公にし、第二の布石を投げかけた、作者は南京事件における最大功労者の1人と言える。 本書の資料的価値もかなり高く中国側における日中戦争から戦後の国共内戦前後の外国人や多くの中国著名人による関係も描かれている。 南京事件の本質的問題点を示唆する名著と言える。 鈴木氏は残念ながら2003年に他界されたものの最後まで南京事件に関する真実に迫ろうとしていた姿勢は頭が下がる思いである。 |