
生きるためにすべきこと(4点)
本書の第一の感想は「宗教の名を借りた専制体制にはじめ騙され、あとから抜けれなくなった、生きることに真面目、いや未熟な人間の物語」というものである。宗教にすがる気持ちを私は全く理解できない。新渡戸稲造は外国人から「宗教がなくてどうやって道徳教育が出来るのか」と聞かれ「日本には武士道がある」と考えた。ある絶対神にすがって生きるのは楽かもしれない、言って見れば厳しい「修行」を行っても、お釣りがくるくらい楽なのかもしれない。そんな生き方はしたくない。そんな人生の担保もいらない。道徳教育も宗教がなくても出来る。宗教なんか頼らなくても生きていける。基本的にそんな生き方を理解できないと自己判断不能に陥り、サリンを撒いてしまう。生きるためにすべきことは、この現実社会に自分の2本の足でしっかり立つことであると本書を読んで切に感じた。
警視庁がオウム信徒に勧める著書(3点)
警視庁刑事部・公安部の捜査官が、この著書をオウム信徒への取調べでよく使う。私に対してもそうだったし、他の元信徒からも同じような経験談を聞いた。 おそらく、信徒を教団させようとする肉親・知人なども同じように勧めるのであろう。警察の場合は、在監信徒への差し入れという形で読ませ、改心させた上で自供に導きたいという思惑もあるのだろう。また、彼ら自身がエリート医師のあまりにも青臭く、そしてどこか狡猾な部分に共感しているのも事実だと思われる。 林の著書を私が読んだ感想としては、やはり己を美化しているというふしがあった。それは死刑相当事案の被告という立場になった時の心理メカニズムを推測すれば想像に難くない。 彼とともに入団した不倫相手の看護婦信徒、捜査一課の取調べ。 法廷での供述。 この著書が『罪と罰』になりえなかったのは、彼の欲得と打算、言動に秘められた後ろめたさを吐露しなかったことにある。 結果、彼は無期懲役になり服役している。 組織犯罪における解明の端緒となる自供を行った被告への量刑など、様々なテーマを包含している問題だけに、彼にはもっと詳らかに、そして本心を吐露して欲しかった。 悪く言えば、裁判官へ宛てた長文の上申書を読まされているような心持だ。
彼も結局被害者だったのかもしれない・・・。(4点)
1995年3月20日に東京の地下鉄にサリンを撒いた張本人、林郁夫によって書かれた本です。宗教的な部分がかなり入っていて少し読みにくいですが、彼がオウムに入信して、そしてサリンを撒くに至るまでが素直に告白されています。 私はこの本を読んで、彼も結局麻原に騙された被害者の一人のうちではないかと思いました。麻原を信じてずっと付いて行ったのに、結局はその麻原にいいように使われただけという感じがします。ただ、彼自身、地下鉄にサリンを撒くことによって沢山の死者・負傷者がでるだろうということを自覚していました。にもかかわらず、麻原の「厳命」だといって実行に移したことは、やはり許されるべきことではないと思います。 あと、被害者の方々への謝罪の気持ちが少し弱いので!はないかと終始疑問に思いました。 この事件を風化させないためにも、是非御一読ください。 |