
このひらがな、この改行、この呼吸、そしてこの「私」のなさに目が覚める(4点)
彼女の文章をはじめて目にとめたときのことを覚えている。東京新聞に掲載されたエッセー。そのリズムのよさ、ふわふわしていてときどきびしっとしまった感じに、思わず居住まいを正した。本としてまとめられた文も、どれもつくづくうまい。見せびらかしみたいなところはないが、かといって全面的脱力ではない。考え抜き、磨き抜いた文章だ。すぐに目に付くのは一人称の完全な欠如。ぼくも何度か試みたけど、ここまで徹底することはできなかった。この感じが、なんかイタリア語っぽい、イタリア映画っぽい。といってもわからないかな、誰にも。漢字とひらがなの配分が絶妙で、ときどきチェンジアップのように投げてくる「ひらがなだま」が効く。あれよあれよと、つられて空振り。でも悔しいというより、爽快になる。彼女の文章からうかがえる日々の暮らしや人間関係はぼくには外国の話のようで、それはきょうみぶかく、ものめずらしい。猫の気ままな歩きにぼんやりついていくと、突然、ふうむと思う一行が出てくる。「ひとづきあいは、波のようだが、浜でぼんやりしているのは変わらないから、いずれまた近しくなるときもある。客商売は、波打ちぎわにずっと立っているような心持なのかもしれない。」なんということもないが、こんなひとことは、なかなか書けるものではない。のんびりした間合いの背後に、機敏な心が隠れている。
『寒い晩に、顔の力がぬけるような味がする』随筆集(4点)
レビュータイトルは本書の一文。 まず、山本容子さんと南伸坊さんの装丁がいい。狙い定めて買ったのだけど、もし書店の店頭で見かけても、きっと手が伸びていたことでしょう。ジャケ買い衝動をそそります。人とのかかわりや食べ物やお酒、季節の移ろいや幼い頃の記憶など、自分を心地よくさせる日常のあれこれ。「センセイの鞄」の月子さんがセンセイのこと抜きで書いたら、こんな随筆集ができあがるかもしれません。 対象に近寄りすぎず、突き放さず、絶妙な間合いに作者の慎み深さを感じます。 幸田文や武田百合子に通ずる随筆の書き手の登場かなと、ワクワクさせる一冊でした。
労働者に対してどことなくやさしさが感じられない(2点)
著者が通う商店街の様子を記したエッセイが冒頭からいくつか続きます。これがどうにも肌に合いませんでした。 ひとつには個々の商店のことを「古着や」「不動産や」という具合に「○○や」と表記している点です。著者が各商店を高みから眺めているような気がしてなりません。そこで地道に商業を営んでいる人々に対して「○○や」という言葉がやさしさを感じさせません。 例えば「不動産屋」と呼ばれることを当の不動産業界で働く人々がひどく嫌っているということを著者は果たしてご存じでしょうか。市井の人々が日常会話で無邪気に使う言葉も、文字に落とし込んで出版物として世に出すと具合の悪い場合もあるのです。私ならば同じ労働者としてほかの労働者に対して「○○や」という言葉を用いて文章を書くのはとても突き放した感じがして躊躇します。 文章全体から受ける印象もまた、著者と商店主の間の距離がどこか他人行儀なものです。著者は豆腐店のご主人に街中で声をかけられてもそれが誰だか気がつかないというありさまです。(「とうふや巡礼」)あまりに遠目に眺めているために商店主たちの顔や息遣いを著者自身も感じることができていないし、もちろん文章の中にも立ち現れてきません。 さらにはこの著者の読点の打ち方は過剰で、文章がブツ切りになっています。 ただし、なかなか読ませるエッセイも混じっています。 例えば「まるいおもち」。祖母ら仲良し三姉妹がにぎやかに過ごした餅つきの思い出。 そして「出もどり猫」。飼い猫のチャーめぐるあれやこれやの懐かしき家族の出来事。 これらの文章は登場人物たちに顔があることを感じさせます。人々と著者との親しい関わり合いから生まれる、人生の味な部分。これこそが私の読みたいと思ったものです。 このように私の好みに沿う文章とそうではない文章が入り混じっているため、本書に対する私の評価は低くならざるをえませんでした。 |