
この本を読んでそれでも書評を書ける人なんているんですか?(5点)
難しいことを難しく書くことならば誰にでもできます。しかし、難しいことを平易に書くことは書いていることをきちんと理解し、なおかつ本当に頭の良い人にしかできないということを表している素晴らしい本です。たとえ著すに至った動機付けが個人的な私怨に発していたとしても!それをそのまま罵詈雑言として吐き出してよかれとするならば誰にでもできます。それを咀嚼して現在の社会が陥っている問題点にまで一般化し、その原因、解決策を含めて分析し、そのツールを実際に具体例にあてはめて切れ味を試すというところまで一冊の中で提示しているまさに実践的な本だと思います。
著者の言う「ワン君」の一員としては、素直に頷けない(1点)
煎じ詰めれば、「『最終的な答えのない状態を耐えて生きていくしかない』というポストモダン的な態度を選択することも、一つの哲学的な『展望』」(p223)、「全面的な“解放”は有り得ないことを認めたうえで、自分が依拠している『物語』がどういう性質のものか常に意識し続けることが必要」(p256)という辺りが本書の主張の核かな、と思う。そこで自分を相対化できないまま性急に答えを求めるから、人の「話」がちゃんと聴けないわけですよね、結局。
ただ、それを言うのに余計な話が多すぎる。院生(当時)のF氏を執拗に叩くのも、あんまり気持ちよくなかった。著者の意図を忖度するなら「公の場で発言することの怖さを思い知れ。シャレじゃないんだゾ」「こんなバカ院生はツブされて当然だ」「ワン君教育のためのミセシメになってもらう」等々かなと思うけど、やっぱ言論界での権力差がありすぎて、粗相をした小間使いをライオンの檻に投げ込む皇帝みたいだった。
実は最初、p236に掲げられているバカ書評のサンプル(「はっきり言って、よく分からなかった。…知的に得るところはない。…この人、自分の不満を本に書きつけているだけではないか、と思うのは私だけだろうか。…」)をここにコピペして済ませようかとも思ったが、やめた。だって、「本当にムカツクと(中略)少々手や足を出すこともある」(p186)という、オタマジャクシみたいに過激な先生ですから。
一種の私小説(3点)
身辺の雑事というか、学会あるいは講演会での腹の立つことを吐き出している。 カタルシスというやつか。 題名につられて買って見て、なんじゃこりゃと思ったが、読んでいるうちに私の体験と重なり、そのとうりと思うようなところも多く、結構楽しめた。話をする際、概念規定をしっかりしておくことは、何と言っても一番大切だろう。コミュニケイションか、ノミュニケイションかの分かれ道は、、。 ただ、著者の言う“ワン君”たちとは仕方ないだろうな。他の惑星に住んでいる人たちのようだから。 ノミュニケイションのまま一生終わるだろう。 ちなみに評者は理系である。 |